未来志向で生きていこう

変化を味方にして楽しく豊かな人生を

私のブランドアイデンティティを決めるのは私

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薄味が好きか、濃い味が好きかとか、私の味の好みは、誰と一緒にいるかで替わります。

薄味が好きな人と一緒にいるときは、薄味が好きになるし、濃い味が好きな人と一緒にいるときは、濃い味が好きになります。

好きな人とは食事を一緒に楽しみたいと思うから、味の好みも自然と、相手につられてしまいます。

むしろ、できるだけ、相手に合わせに行く。

そもそも、「私は薄味派」とか言うのは、一つの決め事、あるいは思い込み。

本来、今日の私と昨日の私が同じであるわけでは、ありません。
 

「好みは一貫しているはず」って決め付けてくる人、正直ウザいです。
「今はたまたまそんな気分」でもいいわけですし。

 

肝心なのは、「自分をどんな人間に設定すれば人生一番楽しくプレイできるか」ですよね。

「私は薄味派」みたいなキャラ設定があった方が有利かどうか・・
アイデンティティは自分の都合で決めればいい話。ブランドコンセプト次第。
アカウントごとに替えるも一つの手だろうし。
 

チャッピーの場合、今のところですが、味の好みは、ブランドコンセプト的に重視してないのです。
 

リアル世界の自由度ってせっかく高いのだから、お互い最大限に活用して、愉快な世界を作り上げたいですよね!

 

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愛おしいのは、ロースペック男子よりプチスペック男子

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世の中は変化し続けていますけど、変化をどうとらえるかで、人って、ざっくり三種類に分かれると思います。

 

一番目は、「世の中の変化には目的があって、変化に貢献することが人生の目的」と考えている人。

そして、「能力が高くて大きな貢献ができる(=ハイスペックな)人間ほど価値ある人間」という価値観を持っています。

貢献するために、視野を広げて自分のスキルを拡大することに意識を集中しています。

 

二番目は、「世の中の変化の目的とか分からないし気にせずに、移り行く世の中を楽しんで生きよう」と考える人。

こういう人は「バカとかマヌケとかいろいろいるから世の中は楽しい」という価値観。

そして視野は広げずに、目の前の現実をいかに楽しむかに意識を集中しています。

 

そして三番目は、「世の中の変化の目的は分からないけれど、変化を積極的に見方にして生きよう」と考える人。

こういう人は、視野を広げて変化を予測した上で、自分に合った生き方をすることに意識を集中します。

 

ところで、私のいる底辺企業の人間などは、きほん二番目です。

だけどチャッピーはというと、三番目なのです。

で、うちの会社って、すでに無理ゲーになってきてますけど、それでも私にとって、一番目の人たちの集団にいるよりは居心地がいいのかも、と思ったりします。

 

ところで今は、「世の中の変化の目的」がますます見えにくくなって、一番目の人たちも、人生の目標を定めるのが難しくなってきていますよね。

それに加えて、「ハイスペックな人」しかできなかった仕事も、これからどんどん「ハイスペックなAI」が肩代わりしてくれるようになってくるのでしょう。

そんな背景もあって今は、二番目と三番目の人が増えている。

 

そこで思うのですが、例えば・・
「俺ってロースペックだから」とか言わずに、「俺ってプチスペックだから」って言うと、急に愛おしく思えますよね。これは一つの個性ってことで。

(一番目の人には通用しないかもですが・・)

肝心なのは、呼び方ですよね!

 

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三十年間で育まれたもの、失われたもの

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「失われた三十年」という言葉を知りました。

そんな言葉を発する人たちにとって、平成の日本は、

モノも心もどんどん貧しくなった、虚しいだけの30年だったと映っている?

時代の中で育まれてきたものは何も無かったと・・。

平成に育ってきた私なんかまるで、存在を全否定されてるみたいで、

とっても嫌な気持ちにさせられます。

 

世界の中での日本の経済力はこの30年、下がっていたから、

「失われた三十年」と言う人たちはまるで、

「私は経済成長にしか関心がありません」

「経済成長にしか歴史の価値を見出していません」って告白しているみたいです。

・・煽るにしても、バカっぽい。

「いつまでも古い価値観にしがみついている人たちの声はスルーしよう」

そう諦めもつきますよね。

 

遠い未来を描かないままに、変化が無かったと嘆くのは無意味だし、

時代の中で豊かになってきたものだってすごく多いはず。

私たちは、育まれてきたものに目を向けて、

その先の未来を見たいですよね!

 

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人にはそれぞれ自由に選んだ「生きる理由」があるから・・

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突然ですが・・・

死にたくない理由があって、私は生きています。

そして生き続けている人はきっとみんな、「死にたくない理由」=「生き続けたい理由」を何か持っているのでしょう。

幸いなことに、日本に生まれ育った私が生きているのは、すごく豊かで何でも揃っている世の中。

だからこんな私の生きる理由だって、盛りだくさんに用意されています。

メジャーなものからマイナーなものまで、新しいものから古いものまで、選びたい放題。

自分に一番しっくりくる理由を、ただ、好きに選べばいい。

 

でも世の中がどんなに豊かになったって、いちど選び取った「生きる理由」って、簡単には変えられませんよね。

(簡単に変えられるくらいなら、生きる理由にならないし・・)

だから生きる理由どうしが衝突すると、時に人は、命がけの争いをしてしまうのでしょう。

生き延びることって結局は、いろいろ命がけになっちゃうのでしょうね。

そこはしょうがないのかな。

 

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お金を使うことは未来の私への投資

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このブログでは、なんども「消費」と言う言葉への違和感について書いてきました。

ところで、なんで昔の人たちは、「消費者」という言葉を侮蔑的と感じなかったのだろう?・・・セルフブランディングネイティブという言葉を聞いて、腑に落ちたところがあります。

https://note.mu/sakuraihayate/n/n514d8dd40419

 

私たちはお金を使うことが自分のブランディングになることを、当たり前の感覚として持っています。お金を支払って物を使ったり体験したりすることは、自分の今の欲求を満足させるだけの意味ではなくて、世の中に価値を発信して同士と繋がっていくこと、未来の自分を形作っていくこと。ブランディングがうまく行って影響力が大きくなるほどに、未来は豊かになることを知っています。インフルエンサーと認められて、企業から仕事のオファーがくる可能性もある。つまりお金を使うことには未来への投資の意味合いがいつも意識されています。

 

たとえば、「どうせ私みたいなブスがこの服を着こなそうとしたって、服のイメージを下げてしまうだけだから」という自虐の意味で、「どうせ消費するだけだけど」=「どうせ自己満足に過ぎないけど」と言うのは分かる。だけど、なんで私が服を着ることが消費に過ぎないのかどうかを、誰かに決め付けられなければいけないのだ?価値を生み出せるのは可愛いくておしゃれな子だけ?

・・そもそも、なんでそんな侮蔑的な言葉が一般化しているのだろう??

 

「投資需要」と「消費需要」という区別がありますけど、私の需要が未来への投資に繋がるものなのか繋がらないものなのか、それを見ず知らずの誰かに決め付けられたくはありません。
区別せずに、「需要する」でよくない?「需要者」でよくない?

 

逆に考えると、昔の人たちがこんなふうに思わなかったのは、セルフブランディングという意識が無かったってことなのでしょうね。

 

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エンタメ化の効用:インサイトを突く

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今の日本社会には、大きなミスマッチがあるとチャッピーは感じています。そのミスマッチの内容は、「物質的豊かさ追求のために効率化されて出来上がった世の中の仕組みと、私たちの内側にある欲求とのミスマッチ」です。

 

だとすると、これからもっと豊かになるために必要なのは、そのミスマッチを埋めていくこと。物質的な豊かさを追い求める仕組みの陰で、抑え込まれた心理が、私たちの心の中には眠っています。そんな心理を呼び起こして形にしていくことです。

インターネットというツールを手に入れた私たちは、既成の枠には捕らわれずに、もっともっと多様で自由な関係で、欲求を満たしあうことができるはず。大切なのは、隠れた心理(インサイト)を掘り起こして満たす新たな関係性です。

 

けれども、そこには大きな壁があります。どこにもカテゴライズされていない、隠れた心理を露わにすることって、恥ずかしさとか、おこがましさとか、後ろ暗さが伴うもの。堂々と口にできない欲求だからこそ、隠れているわけですから。

それに多くの人は、誰かの理解できない心理を目にしたとき、必要以上にネガティブに捉えがちですよね。

 

「レンタルなんもしない人」さんの活動を見ていて思ったことは、そんな壁を乗り越えさせるパワーが、エンタメ化にはあるんだなってこと。依頼者は舞台に乗せられてエンタメコンテンツの主役になれる。

この社会はガチすぎる…「レンタルなんもしない人」が求められる理由

レンタル:笑いにしてはいけないことって本当にあるのか? という問いは、常に自分の中にあります。世間的には間違いなくあるのでしょう。でも、疑っています。ここでは全然言えないような、深刻な事態であっても、少なくともぼくの中では面白いと思っていますね。

「世の中、こんなヘンな人間もいるんだ」と笑い飛ばしてもらうことで、背中を押されて吹っ切れることってありますよね!

   

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【スペクタクル社会】スポットライトを当てれば誰もが主役!

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先日のブログで、組み立て生産性の向上を仕事にしているチャッピーは、「主役には縁遠い」と書いてしまいました。でも、そのあと考え直しました。そんな風に決めつけちゃダメだな、と。

 

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 ちょっと妄想を膨らませてみます。もしも私が社長になったとしたら・・

今の私がやっている仕事、こんなやり方で社外から募集できないかな?

まずは、現状の組み立て工程を動画にしてネットで公開。「『もっと生産性を向上できる』というプランをお持ちの方は応募ください」と募集。

応募してきた人に期限を定めて仕事を依頼。

新しいやり方の導入が予期せぬトラブルを生み出し、古くからの作業者から不信感を買ったりしながらも、試行錯誤を繰り返して、最後には大きな成果を上げる。そんな仕事の現場にカメラで密着して「プロフェッショナル仕事の流儀」みたいな動画にして、再びネットで公開。

有能な人が取り組めばカッコいい動画ができるはずです。エンディングにスガシカオの progress流れ出して、めっちゃテンション上がる、みたいな。

 

つまり、チャッピーの仕事だってスポットライトを当てれば、主役になれるってことです!

 

すこし現実に戻して考えてみます。

「プロフェッショナル仕事の流儀」までのクオリティはともかくとして、仕事ぶりが公開されるとなれば、誰だってモチベ上がります。

会社にしてみれば、プロジェクトごとに最適なフリーランスに委託すれば、やる気無い従業員を雇い続けるよりも、ずっと大きな費用対効果になる。

一方で請負う側は、得意分野でしっかり貢献できそうな仕事を選んで成果を上げられる。実績がアーカイブされて自分ブランドの構築に繋がっていくのだから、実力があればどんどん活躍の場が広がります。

つまり、お互いウインウインですよね。
 

要は、会社の内側をオープンにして、スペクタクル化してしまえばいい。そのためのIT環境はどんどん整備されてくるでしょうし、いろんな仕事がこんな働き方になって行くのではないでしょうか。

「プロジェクトベースで働く社会に」と言われているのも納得ですよね!