
- 共同体の美徳は、資源の制約から生まれた「生存戦略」
かつての共同体では、「諦める」「耐える」「我慢する」「自己犠牲」こうしたことが、共同体の秩序を守るための知恵でした。
資源が限られていなかで、みんなが欲しいものを欲しいだけ得ることは不可能です。 欲望を抑えることが美徳となり、その美徳を共有することで連帯が生まれました。
つまり、美徳とは“制約の中で生きるための文化的技術”でした。
- 市場経済と福祉制度は、その美徳を“障害”とみなす
一方で市場経済は、基本的に「欲望を肯定」「我慢を否定」「もっと便利で快適に」という論理で動きます。だから、共同体が大切にしてきた美徳はしばしば“邪魔”になります。
たとえを挙げれば・・
- 美容整形
「親からもらった身体を大切に」という価値観は 市場から見れば“消費を抑制する規範”。
価値観が薄れると、産業が発展する。
- 子育て
「母親は常に子どものそばに」という価値観は 外部サービスの利用を抑制する。
価値観が変わると、子育て支援ビジネスや福祉が発展する。
つまり、市場経済は伝統的な美徳を“溶かす力”を持っています。
- けれども、美徳は一方向に消えるわけではない
美徳は市場によって消えるだけではなく、 常に“物語”として強化される力も働きます。
「献身的な母親の美談」「母の愛は無償」「母親は強くあるべき」・・こうした物語は、 市場が拡大して、逆に強まることすらある。なぜなら、人は変化の速い社会の中で“揺るぎない価値”を求めているから。
その結果、一方で市場は「便利さ」を提供し、他方で文化は「美徳」を守ろうとし、個人はその板挟みになります。
- 価値観の対立は、母親の心の中で激しく起きる
この対立のしわ寄せが、今の子育て中の母親には集中します。
- 市場は「外部サービスを使えばいい」と言う
- 伝統は「母親は献身的であるべき」と言う
- 社会は「選んだのはあなたでしょ」と言う
- SNSは「完璧な母親像」を突きつける
こんな状況では、母親の自己肯定感が下がるのも当然に思えてしまいます。
かつては「みんな同じだから」苦労も共有できた。 でも今は、同じ苦労をしている人が周りにいないかもしれない。 承認も共感も得られないかもしれない。
そんな中で、「自分の選択の結果としての生活」「自分の選択の結果としての苦労」「自分の選択の結果としての孤独」すべて自分で引き受けて肯定しなければなりません。・・これは本当に酷な状況です。
- その姿を見て、若い世代は学習する
「子育てママの方が不幸」「母親になると人生がしんどい」「自己犠牲を強いられる」「しかも誰も認めてくれない」・・・若い世代はそう感じとります。
人間は、未来に希望があるときに挑戦するし、未来に苦痛が見えるときは避けるもの。
これでは少子化が加速するのも、しかたなく思えてしまいます。




