未来志向で生きていこう

変化を味方にして楽しく豊かな人生を

【成熟社会】標準化の時代から個別化の時代へ

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「多くの人から愛されたい」「能力を活かして人から認められたい」「やりたいことをやって楽しく生きたい」「いつもワクワクしていたい」「価値ある人間と思われたい」などなど、人は様々な欲求を抱いて、それを満たす方法を考えます。
そしてみんなが望むのは、自分のいろんな欲求を同時に満たせる世の中でしょう。

  

ところで、成長期の日本社会の姿として言われるのは・・
「官主導によるライフスタイルの標準化・画一化」、「『みんな一緒に豊かに』と国民一丸となった物質的な豊かさの追求」、それによる「一億総中流社会の実現」といったことです。

 

じゃあ人々の生き方を標準化したってどういうことか、欲求に注目して考えてみると、人の持つ様々な欲求を、望ましい欲求(意欲)と忌まわしい欲求(欲望)とに分けた上で、望ましい欲求を活性化して忌まわしい欲求を抑圧したということだと思います。
そうすることで、人々は一定の標準化された行動パターンへと向かうことになる。
そして物質的豊かさを目指す社会では、その目的に不要な欲求は、「忌まわしい欲望」と見なされて、切り捨てられてしまうことになるのでしょう。


一方で、今の日本は成熟社会。個別化の時代、モノより体験、所有より繋がり、などと言われています。

じゃあそれってどういうことかって考えると、人々の持ついろんな欲求を肯定的に捉えた上で、欲求同士をうまくマッチングさせてお互いハッピーになれる多種多様で豊かな関係を作っていく、そんな社会と言える気がします。 

物質的豊かさ追求のために切り捨てられてきた欲求にも目を向けて、既存の枠にとらわれない新たな関係づくりを考える。ニーズを捉える仕組み作りが上手くいけば、新たなビジネスとなって広がり、社会が変わっていく・・民主導で精神的な豊かさの拡大を目指す社会ということですよね! 

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【酸っぱいブドウの論理】世間の常識は負け惜しみまみれ?

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最近つくづく思います・・

世の中の常識って結局、「酸っぱいブドウの論理」だらけなのかなって。

 

人は自分が手に入れることができない現実を正当化しようとする。

本当はブドウが欲しいのだけど手に入らなくて、

もう、誰もが諦めるしかない状況ならば・・

「だいたいブドウを欲しがるなんて恥ずかしい欲望だよね。」

「そうそう。あんな酸っぱいものを食べるのは卑しい者だけ。」

現実を受け入れるために、みんなで都合のいい理屈を作りあげますって話。

要は、負け惜しみですね。

 

実際、ネットの声を見ていると、どこも似たようなものですよね。

自分が諦めて切り捨てたものの価値を懸命に貶めあって、

それに執着している人を見下すことに躍起・・。

たいていは特定の集団内での話しだから、

外野からツッコミも入るわけだけど。

大多数の人が諦めるような状況になれば、それが社会全体の声になって、

もう負け惜しみだとは誰も言わなくなるのでしょう。

みんながハッピーなんだから、空気読んで黙っとけってなるよ。きっと。

そうやって欲を抑えこむことが美徳になって行くんだろうなーって、

ありありと想像できちゃいますよね! 

 

ところで、文明は進歩するから、昔なら諦めるしかなかったような欲求が、

だんだんと満足できるようになってきます。

そして若い世代は実際に、手に入るようになったブドウを手に入れようとし出す。

だけど年長世代にすればそれは、自分の中の美徳に反するわけだから、

人心の荒廃と映ってしまうわけですよね。

 

自分の子がブドウを食べたりすれば親は、

「ブドウを食べるような卑しい人間に、お前を育てた覚えは無い!!」

とか怒り出すわけです。

マジか!? 

 

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【諸行無常】価値観は移り変わるし・・

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今は時代の転換期なので、価値観の大きな変化が起きているとよく言われますよね。

価値観が変化するってことはつまり、「望ましいもの、尊いもの、誇らしいもの」かつてはそう信じられてきたものの価値が揺らいできて、「忌まわしいもの、卑しいもの、恥ずべきもの」かつてはそう思われてきたものに価値が見出されるようになること。

 

上昇志向の強い年長者って、だいたい価値観の変化に硬直的です。それは「特別な価値ある人間」であろうとしてきて、過去に犠牲を払って手に入れた「特別な価値」が失われて行くことへの抵抗なんだと思います。

逆に初めから「平凡な人間」でしかない人たち、例えば私の周りにいる底辺企業の人たちにしてみれば、価値観が変わってもそんなに失うものは無い。だから変わったなりに受け入れて、上手に楽しく生きていこうと思うのでしょう。

 

ちょっと昔の本を読んでいると、今となっては全然ピンとこなくて、時代を感じさせる主張によく出会います。こんな時代もあったんだなーと。そしてそういう著者って今もあいかわらず、そのうち時代遅れになりそうなことを言っていたりする。

変化を前にして立ち止まり嘆いている人たちには、揺らぐプライドを立て直すための言葉が必要。大きなニーズがあります。だから言論人の一つの役割として、やがては時代遅れになると思っていても、目の前のニーズに誠実に応えて、よしよししてあげることって大切なことなんでしょう。

 

価値観の変化が激しい時代ほど、世を嘆き昔の精神性を称える言葉が充満するのだろうけれど、それで世の中が過去へと逆戻りするってわけでもないんでしょうね。

 

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男から女に変身するイリュージョン

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性転換する方法というと普通、からだに医学的な処置を施すことを思い浮かべると思います。
たしかにそれが一般的です。

ですが全く別の方法として、からだを丸ごと取り替えるっていうのもあります。

代表的なのはイリュージョニスト引田天功さん。
からだを取り替えて、みごとに男から女に性転換してしまいました。

そして性は変わっても、命がけで大脱走に挑むスピリットは、今日まで変わらずに貫いています。
天功さんのような生き方も素敵ですよね!

 

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感謝し合えるあたたかな人間関係へ

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「私は外食で食欲を処理する」

・・もしもこんな突き放したような言い方をあえてすれば、
そこは途端に味気ない空しい世界になります。

お客さんに美味しい料理を気持ちよく食べて貰いたい、
そんな働いている人たちの気持ちを踏みにじるような、
感謝の気持ちがみじんも感じられない表現。

そこに見えるのは、冷たく貧しい人間関係だけです。

「風俗で性欲を処理する」とか
「ポルノで性欲を処理する」といった言い方も、
サービスを提供してくれる人、作品を作ってくれている人たちへの
感謝の気持ちがみじんも感じられない言い方・・
そんな荒んだ表現をわざわざする人というのは、
心に闇を抱えた寂しい人なんでしょう。
 

「良識ある知識人」といった顔で語る人までもが、
荒んだ表現をしているのを目にした時には、
なおさらやりきれない思いになります。
 

働いている人みんながきちんと感謝されて、
豊かな気持ちで関わり合える、
そういう世の中になっていければいいですよね。

  

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食事と性事 : 暮らしの中に豊かさを

 

素直に考えれば・・

食欲を満たすための行為のことを「食事」と呼ぶのですから、

性欲を満たすための行為のことは「性事」と呼ぶのが自然ですよね。

「エッチ」みたいな隠語感も無いし、上品な言い方だと思うんです。

調べてみたら使われている例もありましたが、

もっと普通に使われる言葉になってほしいな。

 

言葉って大事ですよね。

品のある言葉で呼び合えば、

女性も含めて、みんながもっと前向きに向き合えるはず。

性事にまつわる文化をきちんと文化と捉えることで、

もっと機微に富み奥行きあるものにしていける気がします。

 

食事を通して豊かな時間を過ごすこと、

性事を通して豊かな時間を過ごすこと、

何気ない日々の暮らしを、彩り豊かなものにしてゆきたいですものね!

 

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感動には心の壁を打ち壊す力がある

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社会の常識が変わる、秩序が変わるって事は、今までの秩序の中で既得権益を得ていた人にとっては脅威になります。だからそこには必ず反発があるのでしょう。


「女は貞淑で一人の男に従順に尽くすもの」そんな古い女性像があって、その秩序の中で既得権益を得てきた人たちがいる一方で、性的な資産を市場で活かして生きる女性たちは差別され、排除されてきた時代が続いてきました。


固定的な女性像を壊して、「こういう生き方だってありだろ!」って、女性の前向きな生き方の選択肢を広げようと闘ってきた人たちは、過去にも沢山いたのだと想います。けれどもそんな女性たちも「アウトサイダー」「逸脱者」とひとくくりにされて、壁の向こう側の存在とされてきた。荒んだ「裏の世界」と、実りある「表の世界」、二つの世界が壁で隔てられているのが、この社会の建前だったのでしょう。


けれどもネットの時代にはそんな虚構の壁も崩れ、ボーダーレス化が進みます。
「裏の世界」の人たちの生の声に誰もが接することができるようになると、そこが荒んでいるばかりの世界ではないことが伝わるようになりました。
「裏の世界」の人も「表の世界」の人も、同じようにいろんな趣味を楽しんでいるし、趣味の世界の交流は表裏の壁を越えて進みます。


そんな時代変化の節目に登場し、活躍したのが初代恵比寿マスカッツですよね!
彼女たちが幅広い人気を集め、そして5年間も番組が続いたのも、メンバーそれぞれが個性を放ちながら、女性として人として、とっても魅力的で輝いていたから。
いままで日陰者とされてきた人たちだって、まっすぐに生きているならばスポットライトの当たる場所に立ってみんなに感動を与え、勇気を与えることができる・・
彼女たちの頑張りは私たちにそう教えてくれました!!!


そしてその意志を引き継いで再結成された二代目恵比寿マスカッツ。彼女たちもまた、女性が女性として授かった武器を最大限に活かして実り豊かな人生を創り上げられる、そんな未来を笑顔で切り開いていっているのですよね!!

 

感動だけが人の心を撃ち抜ける。
感動には「心の壁」を打ち壊す力がある。「人」を動かす力がある。
感動には「社会の壁」を打ち壊し「世界」を変え「未来」を変える力がある。

㈱アミューズ 企業理念

 

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