未来志向で生きていこう

変化を味方にして楽しく豊かな人生を

世の中をより良くするのは「優秀さ」

 

今、「世の中をより良くする能力に秀でた人」のことを「優秀な人」と呼ぶことにします。

先生たちは子供たちに、「優秀な人」になって欲しいと願って教育します。それは「優秀な人」が、世の中をより良くしてくれると期待するから。

けれども世の中には、「あまり優秀な人は育って欲しくないな」そう考える人もいるかもしれません。・・優秀な若手に自分の仕事が奪われてしまうことを恐れる人です。

でも、そういう人が「子供たちが優秀になると困る」と騒いでも、「世の中が良くなることを妨げる身勝手な意見」と一蹴されそうです。

 

エンジニアたちは、「優秀なAI」を生み出したいと願って開発します。それは「優秀なAI」が、世の中をより良くしてくれると期待するから。

けれども世の中には、「あまり優秀なAIは生まれてきて欲しくないな」そう考える人もいます。・・優秀なAIに自分の仕事が奪われてしまうことを恐れる人です。

でも、そういう人が「AIが優秀になると困る」と騒いでも、それだけでは、「世の中が良くなることを妨げる身勝手な意見」ということになりそうです。

 

大きく違うのは、AIが奪うのは、今の大人の仕事だけでなくて、これから大人になる子供たちの仕事まで、というところ。だとしたら大事なのは、「子供たちがそれをどう思うか」ですよね。

「AIが人間以上にうまくやってくれれば、AI任せにできて人間は楽でいいね」・・そう言ってくれるのなら、別に問題ないのかもしれませんね!

  

 

優秀なAIを歓迎する人と、歓迎しない人の違い

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最近このブログでは、AIの話題とか多いですが、実際のところ、チャッピーのいる底辺企業では、AIが話題になることなんて全くありません。

まあ、「何事もなるようにしかならない」って感じだし、きほん、みんな未来のことで思い悩んだりもしないですけど。

 

ところで、世の中には、ルール(仕組み)作りに携わりたい人と、そうでない人とがいるのだろうと思います。

そうでない人っていうのは、「ルールを作るのは頭のいい人たちで、自分たちバカは、頭のいい人が作ったルールに従って動くだけ」初めからそう考えている。
・・私の周りにいるのも、そんな人たちです。

 

将来AIが優秀になって、AI任せでルールが作られるようになったとしたら、ルール作りに携わりたい人にとっては、きっと大きな変化になるのでしょう。

自尊心を満たせる機会がAIに奪われてしまうわけですし。

 

ですけど、できたルールに従って動く側にしてみれば、「頭のいい人が作ったルールに従って動く」のも、「頭のいいAIが作ったルールに従って動く」のも、違いはありません。

ルールがあることで、人は安心できたり、競い合えたり、愚痴れたりする。いろんな意味で自分たちに利益があれば、それでいいのですよね。よっぽど酷いルールでなければ。

 

その上で、「超優秀なAIならば、誰もが仕事での成長をゲーム感覚でストレス無く楽しめるような、素敵な世の中の仕組みを作ってくれるんじゃないかな?」・・そう期待しちゃいますよね!

 

 

AI時代に求められるのは「人間らしさ」より「自分らしさ」

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 地球上に人間並みの知的な存在が他にいなかった時代に、「人間らしさ」という言葉が「誇らしい性質」を示すことは、疑いの余地がなかったのかもしれません。

けれども人間の知能をしのぐAIが生まれつつある今日、「人間らしさ」という言葉には、「慣習やバイアスに絡めとられている非合理性」みたいな、ネガティブな意味合いも強まってきていますよね。

 

ところで昔は、女性に向かって「女性らしくあれ」と言うことは、純粋に善意として受けとめられていたのでしょう。それが幸せを手にするために必要な「誇らしい性質」だと誰も疑わなかったから。

けれども世の中が移り変わって、「女性らしさ」という言葉には、「伝統文化に絡めとられている非合理的性」みたいな、ネガティブな意味合いも強まってきました。

と同時に、「女性らしさの押し付けは女性の生き方を狭めてしまう」そういう認識が広まってきたのだと思います。

 

人間に向かって「人間らしくあれ」と言うことも、今までは純粋に善意として受けとめられてきたのでしょう。それが幸せを手にするために必要な「誇らしい性質」だと誰も疑わなかったからです。

けれどこれからは、「人間らしさの押し付けは人間の生き方を狭めてしまう」、そういう認識が広まってくるのでしょうね。

 

もちろんだからと言って、「女らしさ」にしても「人間らしさ」にしても、それを積極的に活かす生き方も全然あり。

大事なことは、「女らしく」でも「男らしく」でも「人間らしく」でもなくて、「私らしく」ですよね!

 

chachappy.hatenablog.com

 

 

 

グローバルプレイヤーとローカルプレイヤー

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「らしさ」に拘る生き方と、囚われない生き方について、考えてみます。

「らしさ」の意識は、歴史的・文化的に形成されたものとしてあります。

 

「女は女らしく」と、全ての女性に女らしさが押し付けられていた時代がありました。

けれども現代は選択の自由が広がったので、女らしさには囚われない生き方が広がってきています。

でも一方では、「女子力」とさかんに言われるようにもなりました。

つまり一つの選択肢として、女らしさを積極的に活かす生き方も、注目されるようになったわけです。

 

ところで、グローバル化が進んでAIと共生するこれからの時代、選択の自由はさらに広がって、人間らしさには囚われない生き方が広がっていくのでしょう。

そうして別の選択肢として、人間らしさを積極的に活かす生き方も、注目されるようになりますよね、きっと。

 

国境も文化も乗り越えて繰り広げられる熾烈なグローバル競争。

そこでは、AIや先端テクノロジーをフル装備して、超人間へとアップグレードした者たちの闘いが繰り広げられるのでしょう。

明文化されていないルール(社会通念)には目もくれず、明文化されたルールのギリギリ内側を攻めて、ミッションを最短でこなすグローバルプレイヤーたち。

目標達成のための最適解を躊躇せずに選びとって、素早く実行した者が勝者となります。

心理的な障壁があるとしたら、その壁を打ち壊すこと・・
文化を乗り越えるグローバルプレイヤーにとって、文化的に形成された「人間らしさ」も、乗り越えるべきもの。

リーダーにはサイコパシーが必要とも言われていますよね。

 

でもそんな世界が広がるほど逆に、「人間らしさ」を積極的に活かす生き方も、ますます注目されるようになるのでしょう。

たいていの人が魅かれるのが、やっぱり人と人との絆です。

地域に根ざしたローカルプレイヤーにとっては、昔ながらの義理人情みたいな人間らしい世界って、きっと今以上に大事になってくるのでしょうね!

 

 

 

【勇気づけるストーリー】花嫁は夜汽車に乗って嫁いでゆくの

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日本が物質的な豊かさを追い求めていた工業化時代、故郷を離れて工場で働く生活に、豊かな未来を思い描いた若者がたくさんいました。

土地への愛着がとても強かった日本人だけれど、「永遠の愛を誓い合った二人が新たな地で、豊かな家庭を築くストーリー」や、「日本人の忠誠心・勤勉さで、豊かな欧米に追いつくストーリー」といった、とっても魅力的なストーリーがあって、みんなで同じストーリーを共有していた。

若者たちはそんな日本を信じることで、故郷への執着を手放して、前に踏み出す勇気を得たのでしょう。
そして当時の音楽も、そんな時代に向き合う人々を勇気づけていました。

 

じゃあ、物質的な豊かさの追求が目的ではなくなった今日、私たちはどうやって豊かな未来を思い描けばいいだろう?

・・価値観が多様化して社会が流動化して、確かなものが何も無い時代。みんなで共有するストーリーもありません。

そんな中、私たちは魅力的なストーリーを自分自身で見つけ出して、自分を信じることで不要な執着を手放して、前に踏み出す勇気を得る必要があるのでしょう。
もちろん今の音楽も、そんな時代に向き合う私たちを勇気づけてくれています。

 

それは分かっていても、世の中、自分だけを信じて突き進める人ばかりじゃありませんよね、やっぱり。
仲間と共に立ち向かう中に、喜び生きがいを感じる人も多い。

グループアイドルの人気だって、仲間を信じて同じ目標に向かって進むストーリーに、美しさを見る人が多いからでしょう。

組織の掲げる一つのビジョンに向かって団結して突き進む、古臭く見えるのかもしれないけど、そんな生き方には変わらぬ魅力がある。

一人ひとりが自分のストーリーを生きる時代だからこそ、会社が提供してくれるストーリーの意味は、大きくなっているのでしょうね。

 


『花嫁』 はしだのりひことクライマックス (昭和46年)

 

 

  

社会的地位にこだわる人、こだわらない人

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昔は多くの人が、権威あるブランドを使って「自分は特別な存在だ」って、価値を示そうとしていたのだと思います。

 

会社員なら「有名企業の**長」という会社ブランドがあったし、お受験ママが手に入れたかったのは「有名校に通う子供の母親」という学校ブランド。

あとは「ブランド品のバッグを持ってる自分」みたいな持ち物ブランド。

もうちょっと特別な存在になりたい人には、「**主義者」っていう思想ブランドもありました。

 

ところで今の時代に意識されるのは、パーソナルブランディングです。

 

思うのですが、ほんとは昔から、みんな自分ブランドで生きたかったのでしょう。

でもメディアの限られていた時代にそれができる人って、作家とかデザイナーとか芸能人とか、ごくごく限られた人だけでした。

だからネット社会になって誰もが情報発信して、自分を自由にブランディングできるようになると、自分の価値を示す手段としての、権威の魅力も一気に薄れるわけです。

 

もっともこんな変化の激しい時代、だからこそ、権威あるブランド価値に頼りたいって気持ちも分からなくはありません。

ただ、社会的地位とかにこだわる人が古臭く見えてしまうのは、しかたのないことなのでしょうね。

 

 

 

【人格の外部化】クラウド上のAIアシスタント、クラウド上の私

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こんな頼れるAIアシスタントと暮らせる日も、もうすぐでしょうか?ワクワクしますね。

パーソナルAIアシスタントが、いつも私に寄り添って経験を共にして、共に考え、いっしょに過去の記憶を呼び出してくれる。AIは私の選択肢を示してくれて、そのフィードバックで私の思考パターンや行動パターンを学習。そうしてどんな時もチャッピーの気持ちを先回りして、ベストな指示を出してくれるようになる。

・・そうなれば、それはもうチャッピーの人格の一部と言ってよいのでしょう。

 

私みたいな横着な人間ならば、自分の脳みそに記憶しようなんて気もなくなって、どうするのがいいか自分で考える気力も無くなって、記憶力も思考力も退化しちゃうかも?・・私の意思はすっかりアシスタント任せになりそうです。

もう完全にAIアシスタントあっての私、アシスタント無しでは生きられない(笑)。

 

現在の人たちがスマホ無しの生活は考えられないように、何年か先の人たちは、AIアシスタントとARグラス無しの生活は、考えられなくなるのかも知れないですね。

 

そして私専用のARグラスをかけて、私のパーソナルアシスタントにアクセスすれば、私好みの世界が広がって、私向けの指示を出し続けてくれます。

仲良い人同士、たまにはメガネを交換する気分で人格を交換する、そんな楽しみ方のできる未来が待っているのかも知れませんね!

 

chachappy.hatenablog.com