未来志向で生きていこう

変化を味方にして楽しく豊かな人生を

【存在被拘束性からの自由】地球外生命体の目線で観察する

人文科学の学者さんていうのは、
「存在被拘束性」から自由になって、
対象を客観視することが求められるのだそうです。
帰属意識をすっかり手放して、
何者でもない存在として世の中を眺めるってことなのでしょう。


それって言ってみれば、
「この星に降り立って仮初に地球人の姿を借りてフィールドワークしている地球外生命体」みたいな自意識を持つってとこなのかな?
まあ、「宇宙タコ」でも「宇宙ナマコ」でも何でもいいわけですが・・

 

エイリアンの視線をもって人間界で起きている現象を観測して、
構造やメカニズムを解析する。
その上で、人間界からの何らかの要請に応える形でアウトプットを出していく。
つまりはそんな立場なのかな、と思います。

 

ところで、そんな自意識に漠然と憧れながらも、
興味本位なだけのチャッピーですけど、
こんなふうに自由に考えたことを言える環境があるって素敵なことですよね! 

 

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【マスカットナイトから学ぼう】悪者も大事

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イノシシなどの害獣による被害って日本各地で拡大しているんですね。

12日放送のマスカットナイトフィーバーでは、

ニュースコーナーで取り上げてましたけど、

それにしても三上悠亜さんのコメントはほっこりしましたよね!

 いい人ばっかりじゃあ人生っていうのは楽しくない。

悪者も大事だと思うんですよ。

ヘンな人がいて荒らして、それを守るヒーローがいて。

で、いい人。 

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chachappy.hatenablog.com 

善人も悪人もいない世界

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野生のイノシシを、畑を荒らすかどうかで、

このイノシシは悪いイノシシで、こっちは善いイノシシ、と分けるとしたら、

それって自分たち人間の都合で勝手に分けてるんだなって分かります。

イノシシの道理じゃ関係ないわけで。

じゃあ、人間を悪い人と善い人と分けるのも同じように

「自分たち」の都合で勝手に分けているだけなんじゃないの?

そう考えて見ました。

 

悪人っていうのは、自分の都合、自分たちの都合だけを押し付ける人とか、

ルールを守らない人ってことになると思うんです。

一方で自分たちの都合だけで無くて「みんな」のためを想って

尽力する人は善人ということになると思います。

 

ところで、ルールと言うのもどっかで

「みんな」の範囲を区切って決めたものなのでしょう。

考慮する「みんな」の範囲がどれだけ広いかによって

独善的かどうかみたいなレベルは変わってくるのでしょうけど、

どんなにその範囲を広げたとしても、

せいぜい「今、地球上に生きている人間」ってあたりまでなんだと思うんです。

もしもその範囲を、人間以外の動物にまで広げてしまったり、

一万年後の人間(?)というか知的生命体(?)とかまで

広げてしまったりすれば、

とたんに善人とか悪人とかって何だか分からなくなってしまう気がします。

 

そうした話は脇に置いておいて、さしあたり日々の生活って、

自分にとって自分たちにとって都合が良いか悪いか、

それだけを考えてコミュニケーションするだけでも、事足りているんですよね。

それだけ今の日本は治安が良くて、

ルールが守られているってことなのかもしれませんけど。

 

ところで、いっそ世の中は、都合・不都合の理屈だけで回ってるって考えることも

できるとは思うんです。

みんなの都合でルールを決めたはずなのに、

ルールを守らない人は周りの人にとって不都合だから、

刑務所に入れて隔離しときましょう、みたいな。。

「この人、ダーティープレイが目に余るから、レッドカード退場!」って感じ。

 



【権威愛好家】権威と上手に付き合う

権威っていうのは、どういう素性のものかよく分からなかったり、

いろんな大人の事情が絡み合ってできたものだったりすることも

あると思うんです。

でも、それもひっくるめて、権威を認めて楽しむってことできますよね。

 

「みなさん!これが権威が認めた価値あるものです!」

そう提示されたものを受け入れて、みんなで盛り上がれる。

それ無しではバラバラになってしまっていた趣味や価値観がまとまって、

みんなが繋がり合えるようになるわけですから、

役立つ便利なものとして、権威を慈しむことができます。

権威を楽しむ愛好家として、権威と上手に付き合える大人になりたいな!

敵がいない世界よりも敵がいる世界

みんながみんな物分りの良い大人になってしまったら、

世の中はどこまでもまっ平らで、退屈するしかありません。

それに、闘うべき敵がどこにもいないと、

「敵は自分の中にしかいない」ってことになってしまって、

それはそれでとっても酷!

 

そういうわけで、イラっとくることを言う人も、

「この人はあえて憎まれ役を買って出てくれているんだろうな」

って考えると、ありがたい存在にみえます。

 

世界はだんだんとB級SFドタバタコメディみたいになっていくのかな?

チャッピーは前からそんな気がしているのですけど・・

なんとなくそれっぽくなってきているのかなぁ?

そんな世の中を、楽しく生きていきましょう!

 

 

 

豊かな未来をひらく多様なパートナーシップ

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人には「誰かを守りたい」って欲求もあれば、

逆に「誰かに守られたい」って欲求もありますよね。

だから人と人との関わり合いを通じて、

ある人の「相手を守りたい」って欲求を叶えられて、

もう一方の人の「相手に守られたい」って欲求を同時に叶えられるなら、

そんな関係はWinWinになって、

安定した関係になるのだろうと思います。

お互いに相手がかけがえのない存在になるのだから、

金銭的な利害を超えた関係ですよね。

 

対照的に、「イーブンに権利と義務とを配分する」といった

公平性のルールを持ち込む関係っていうのも世の中にはたくさんあります。

そういうルールは、自治会とか組合とかの

金銭的な利害をはっきりさせたいオープンな組織には大切ですよね。

ルールで縛ることで透明性を確保しながら、

協力し合うメリットをメンバーみんなが対等に享受しようとする。

そしてそこにもWinWinな関係が広がります。

 

ところで、そんな公平性のルールを

夫婦みたいな、排他的な二人の関係にまで持ち込むとどうなるんだろう?

 

アメリカのドラマとかを見る限りですけど、

イーブンの解釈をめぐって緊張が続いたりして、

やっぱり関係が不安定になりやすいのかもですね。

お互いに協力し合うメリットはあるにしても、

協力相手がその人でないとって必然性は弱くなるし・・  

一緒にいるウザさとメリットとどっちが勝るのって話にもなる。

 

もちろん、「二人でイーブン」ってパートナーシップを自分たちの理想と考えて、

それを追求したい人は、そうすればいいと思います。

だけど「夫婦とはこうあるべき」みたいに、

自分の型を周りにまで押し付けてくる人は、勘弁ですよね!

 

  

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お金を使う意味

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お金を使うってことの意味について、

私って狭くて凝り固まった意識を持っていたのかな?

最近そう思います。

お金を支払うってことは「何かをしてもらう」ことへの対価・・

でもそれってしょせんはラクをしたいとか、モノを手に入れたいとか、

時間を節約したいとか、なんかそういうことです。

お金を使ってできることのごく一部だし、

実はたいしたことじゃないのかもって思います。

 

自分の中にある欲求に目を向ければ、

「誰かを支えたい、守りたい」とか

「一緒に何かを作り上げる喜びを共有したい」とか

「大切なものを育んでいきたい」とか

「好きな人を喜ばせたい」とか・・

そういうのってあるし、きっとみんなにもあるでしょう。

 

地下アイドルとファンとの関係とかを見ていると、

そういう欲求を満たすことにお金を使うって世界が広がっている。

「何かをしてあげる」ためにわざわざお金を支払う。

そしてそういう世界はすごく濃密です。

 

これまでそういう世界に興味がなかったのは、

そういう欲求って、職業とか結婚とか子育てとかで満たされるのもの、

そんな枠にはまった意識があったからなのかもしれません。

それで、本来そういうことを通じて満たされるはずの欲求を、

お金を払って満たそうとするのは恥ずかしいこと、

そんな感覚があったのかもって思います。

 

でも考えてみれば、様々な欲求をいだく人と人とが

お金を媒介することで繋がり合って、お互いの欲求を満たしあって、

多種多様でウィンウィンな関係が広がっていくわけです。

そこには、職業とか、労働とか、消費とか、

なんかそんな言葉を古臭いものにしてしまうような、

可能性を感じますよね!