「人から評価されたい、認められたい」、便利になった世の中で、相変わらず多くの人が不全感を抱いているのはなぜ?
・・考えてみると、人々の思い込みのせいもあるのでしょう。
「評価されるのはお金を受け取る側」とか、「承認欲求は、お金を使って満たすものでは無い」という思い込み。本当は、お金の流れに縛られる必要はないのに。
金銭授受を伴う関係を、私たちは謎の常識で縛りつけています。
「お金を出す客が立場が上で、客は店を好きに評価するけど、その逆は無い」とか、「客は店を自由に選べるけれど、その逆は許されない」とか、「店は料金を明示して、どの客にも同じにしないといけない」とか・・、なんか、そういうのってアホくさくないですか?
たとえば、自分の承認欲求を満たすために赤字の商売をしたっていいわけで。
「人に認められて喜ばれた。よかった。赤字だけど」で、いい。
お金が入ってくるルートは別に無いと、ですが。
あるいは、客の承認欲求を満たすために、客を評価する商売があっていい。
客のことを気に入ったら特別割引、評価が上がるほどVIP待遇に。逆に気に入らなければ出入り拒否。お客はお店に気に入ってもらおうと自己研鑽する。
・・そんな商売があっても、いい。
医療とか公共インフラとか、生きる上で欠かせないものは、公平なルールで配分されることが重要なのでしょうけれど。