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「コンテンツ消費」という言葉にこめられる悪意

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「高校生活の3年間で私は100冊近いノートを消費した」
こう言ってもまだ違和感はありませんけど、
「高校生活の3年間で私は100冊近い教科書を消費した」
こう言ったら、完全に違和感があります。

ノートは物質的に費やされるものだれど、教科書の内容(コンテンツ)というのは費やされるものでは無くて、むしろ学習者に吸収されて役立つものだから。

それをあえて「教科書を消費した」なんて言えば、まるで「内容はすっかり忘れて無駄になった」みたいに聞こえます。

そして実際のところ、教科書には消費税はかからないみたいだし、消費されるものとは区別されています。

 

ところで、どんな漫画家もミュージシャンも小説家も・・
それまで読んだり鑑賞してきた過去の多くの作品から学んだことを消化して、自分の作品につなげているのでしょう。

それをたとえば、プロの漫画家が賞の授与式で、「尊敬する先輩たちのたくさんの作品を『消費』してきたおかげです」なんて言ったら、すごく変です。

こういうときに「消費」という言葉はぜったい使われません。

 

だからもしも友達が私の過去を、「高校生活3年間でたくさんの漫画を消費してきた」と言ったら・・
それはつまり、「漫画の内容はあなたにとって役立たないし、そこから学んだことを元に何か価値あるものが生み出されることも無い」そう決めつけられているわけで・・
とっても虚しくなります。

 

もともと費やされて消えるわけではないコンテンツを、「消費する」なんて言う時って、対象や相手を卑しめる悪意が含まれている。

こんな虚しい表現をするのは、止めにしたいですよね!