コロナ禍で「応援消費」という言葉をよく聞くようになりました。
昭和は「モノ消費の時代」でした。
欲しいものが沢山あったけれど、お金がない時代だった。
辛い仕事にも耐えてお金を稼いで、少しでもいい物を手に入れようとしていた。
魅力的な新商品が次々と生まれた時代。
「みんなが勤勉に励めばテクノロジーと経済が発展して、モノの豊かさが増加して、世の中の幸福量が増大する」、そんな好循環がどこまでも続くと思われていました。
新商品と共にある生活は、みんなが信じる一つの物語に参加することを意味していた。
日々の仕事は単調でも、魅力的な物語の力で繋がり合って、人々は幸せを分かち合ったわけです。
・・・そんな時代を「モノ消費の時代」と呼ぶのでしょう。
でも現実には、好循環はいつまでも続くわけではありませんでした。
新商品の魅力も薄れ、地球環境破壊も目に余ってくると、もう物欲だけでは経済が回りません。
やってきたのは、みんなの信じられる物語がどこにも無い時代。
それでも経済を回し続ける必要はあるから、代わりとなる新しい物語を生み出すことが一大事となった。
そして紆余曲折を経た令和の今、私たちが夢中になっているのは、「推し」を応援するためにお金を使うこと。
つまり、各々が尊いと思う物語に参加するために、信じる未来を引き寄せるために、お金を使う時代です。
ところで、物語に参加する方法はいろいろあります・・・お金を出して活動の成果物・記録物を受け取ること、無償で活動に参加すること、物語の魅力を広めること(布教活動)、寄付すること(お布施)、目指す未来のために投資すること、活動資金を得て活動すること、といった具合。
物語への関わり方に濃淡はありますけど、中でも生業として活動する人はリスペクトされる。
報酬を得て行う活動には誇りと使命感が伴う。それは単にお金を稼ぐための仕事とは異なります。
そこには、一つの物語の力で参加者みんなが繋がり合って、幸せを分かち合う世界が生まれるわけです。
けっきょく時代が変わっても変わらないのは、「人は魅力的な物語の力で繋がり合って生きている時に幸せを感じる」ということ。
そしてそこに注目すれば、経済の問題というのは「限られた資源を有効に活かして、各々が信じる物語への参加を通じて幸福量を増大していく仕組み」を考えることになるのでしょうね。
20170225 fairytale / おやすみホログラム(BAND SET) @下北沢SHELTER