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【共創イノベーション】新しいゲームを始めよう!

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 ドラッカー先生によると、イノベーションとは、「現在無価値であるモノの価値を世界に認めさせる事」で、19世紀最大のイノベーターは、看護の価値を世界に認めさせたナイチンゲールなのだそうです。

 

人は、自分の行為について社会からの承認を求めます。社会はその承認関係の網の目を成している。

でも時に人の行為が、その承認の網の目の方を作り変えてしまうことがある。

今まで無意味と思われていたものの意味が認められて、結果としてイノベーションが起きて世界は変わります。

つまり、世界を変えるモノとは、今はまだ軽んじられているモノでなければいけないってこと。

 

 

ところで思うのですが、イノベーションの推進力って、新しい価値を生み出してお金に換えていこうとする人だけのもの?

今までは、企業家の信念や使命感が主な推進力だったのかもしれない。

でもこれからのイノベーションは、お金を払ってまでそこに参加しようとする支援者の熱狂が、大きな推進力になるはず。

なぜ?・・それが最高にエキサイティングなゲームだと、多くの人が気付いたから。

 

何かを価値ある「本物」とジャッジして、別の何かをつまらない「まがい物」とジャッジして、そうやって「私はモノサシが分かっている」「本物を見る目が私にはある」そう自慢しても、得られるのはひと時の安心だけ。世界は何も変わりません。

 

「つまらない、下らない、ダサい」そう言われるものになぜか魅了される自分がいるとしたら、そこにこそ世界を変えていく推進力が眠っている。

最大に魅力を語って、最大の意味づけをして、最大の価値を与えよう。

一人の力は小さくても、その力が集まって大きなうねりとなって、やがて世界に新しい価値観を認めさせることができれば、それはこの世界の何かが変わったということ。

 

そう、世界は変えていける。自分を信じよう。

「まがい物」に未来を託そう!!

さあ、新しいゲームを始めよう!!

 歌で世界は変わらないなんて そろそろ言ってる場合じゃない!!

 


ゆるめるモ!(You'll Melt More!)『ミュージック 3、4分で終わっちまうよね』(Live Music Video)

 

 

 

「費やされるもの=下らないもの」とジャッジしたい私たち

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一発屋」と呼ばれて、
地上波バラエティではほとんど見なくなった芸人さんが、
実は今でもけっこう稼いでいたりするってことあるんですよね。

誰もが知ってるようなブレイクしたネタって、
本来のお笑いネタとしては飽きられてしまった後でも、
CMで大きな利用価値があったりする。

「ゲッツ!」とか「****はじめました~」とか・・

 

形のないコンテンツっていうのは、
その価値がどこで再発見されて再利用されるか分からない。

それは費やされて消えてしまうものではなくて、
人々の記憶の中に生き続けているものだから。

むしろ金銭的には、再利用価値の方が大きかったりもする。

だけど世の中、「消費されるコンテンツ」とか「消費される芸人」
とかの言い回しが大好物です。

「いっときもてはやされるだけの下らないもの」
みんなそう見下したい?

 

「消費する」なんてネガティブで虚しい表現が、
どうして使われるようになったのだろ?・・

その理由を考えてみたのですが、
私たちってどこかに「費やされるもの」を見つけては
「下らないもの」とジャッジして安心しているのかもしれませんね!

 

 

「好循環を生み出していく」ポジティブな意識でお金を使いたい

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しつこく「消費」と言う言葉への恨みを書き連ねます(笑

「先生へのお祝いに3万円を費やしました」と言われれば、
「ほんとうは避けたかった支出なんだな」と受け取るでしょう。

「楽しい時間を過しました」とは言わずにあえて、
「楽しい時間を費やしました」と言われたら・・ヘンですけど、
「楽しいだけの時間を無駄に費やしてしまった」
という皮肉なのかな?と受け取るでしょう。
 

つまり「費やす」という言葉を使うと、
「できるだけ抑えたい、できれば避けたい」
そういうネガティブな意味がそこにこめられてくる。

対義語を調べても・・
蓄える(ポジティブ)の対義語が、費やす(ネガティブ)で、
出し惜しむ(ネガティブ)の対義語が、はずむ(ポジティブ)
 

ですので「消費」と言う言葉も、費やすという文字が入っている時点で
できれば減らしたい、避けたいというネガティブな意味が込められています。
 

きっと、費やされているものだけに注目したから、
お金を使う行動を「消費行動」なんて呼ぶことになったのでしょう。

ですけど、
「お金を使うこと=何かを費やして消すこと」
なんてネガティブな意識は止めにして、
「お金を使うこと=何らかの好循環を生み出すこと」
とポジティブな意識を持ちたいですよね!

 

 

 

【美しい循環】僕らは数えないし、無くすこともない

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大地の恵みを活かすために綿花は育てられて、

その恵みを活かすために綿花は美しい綿糸へと紡がれて、

その恵みを活かすために綿糸は美しい衣へと織られて、

その恵みを活かすために衣は美しい人の身に纏われて、

そうしてみんなが眼福にあずかり得た力を活かすために、

また綿花が育てられ綿糸へと紡がれて・・・
 

世の中には、こんな麗しい循環ってありますよね!

 

人は自然の恵み、大地からの授かりものを活かして豊かさを分かち合う。

その魅力を一層引き立てるのに相応しい人がそれぞれ関わりながら
次の人へと受け渡していって、未来へと富をつないでいく。

 

私たちは、数えられるものや費やされていくものに目を奪われやすくて、
数えられないけれど受け継がれていくものには目を向けにくいのでしょう。

世界の見方は人それぞれ違うけれど・・

せめて自分の周りには、自分が心地よくなれる世界を作りあげていきたいな!

 


ありあまる富 /椎名林檎(Cover)

「感謝の気持ちがあれば・・」消費と言う言葉への違和感

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「この子が成長したのも、たくさん消費してきたお米のおかげです。」

「この子が成長したのも、たくさん消化してきたお米のおかげです。」

「この子が成長したのも、たくさん食べてきたお米のおかげです。」

こうやって並べると、一番目の表現って違和感があります。

感謝の気持ちを表す時に「消費」って言葉はふさわしくありません。

感謝の気持ちがあれば、単に費やされるものなんて一つも無いはずなのに、
あえて費やされるって字を使うわけですから。

この言葉は、モノや関係を通して育まれるものから目を背けさせてしまう。

 

チャッピーは「消費」という言葉が嫌いなので、特別な意味があるとき以外は
使わないようにしたいな、と思っています。

あと、人が書いた文章に出てくる「消費」は、他の言葉と置き換えてみる。
たいていは置き換えられる。

でも、「生産者」に対しては「消費者」とか、呼び方が決まっているから
しかたなく使うのですけど・・

 

 

 

「コンテンツ消費」という言葉にこめられる悪意

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「高校生活の3年間で私は100冊近いノートを消費した」
こう言ってもまだ違和感はありませんけど、
「高校生活の3年間で私は100冊近い教科書を消費した」
こう言ったら、完全に違和感があります。

ノートは物質的に費やされるものだれど、教科書の内容(コンテンツ)というのは費やされるものでは無くて、むしろ学習者に吸収されて役立つものだから。

それをあえて「教科書を消費した」なんて言えば、まるで「内容はすっかり忘れて無駄になった」みたいに聞こえます。

そして実際のところ、教科書には消費税はかからないみたいだし、消費されるものとは区別されています。

 

ところで、どんな漫画家もミュージシャンも小説家も・・
それまで読んだり鑑賞してきた過去の多くの作品から学んだことを消化して、自分の作品につなげているのでしょう。

それをたとえば、プロの漫画家が賞の授与式で、「尊敬する先輩たちのたくさんの作品を『消費』してきたおかげです」なんて言ったら、すごく変です。

こういうときに「消費」という言葉はぜったい使われません。

 

だからもしも友達が私の過去を、「高校生活3年間でたくさんの漫画を消費してきた」と言ったら・・
それはつまり、「漫画の内容はあなたにとって役立たないし、そこから学んだことを元に何か価値あるものが生み出されることも無い」そう決めつけられているわけで・・
とっても虚しくなります。

 

もともと費やされて消えるわけではないコンテンツを、「消費する」なんて言う時って、対象や相手を卑しめる悪意が含まれている。

こんな虚しい表現をするのは、止めにしたいですよね!

世の中をより良い場所に変えて行くことは消費行動なの?

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アイドルファン自らが、「私たちはアイドルを消費している」なんて言うのをときどき目にすることがありますけれど、とっても切ない気持ちになります。

 

クラシック演奏家のファンは、「私たちは演奏家を消費している」なんてわざわざ言わないと思う。

それは、その演奏家の活動を支えて成長を見守り、その魅力が広く認められていくことが、世の中がより良い場所になっていくことだと思っているからでしょう。

 

逆に「消費している」なんて言い方をする時って、応援したところで、ひと時の気晴らしにしかならなくて、やがて飽きられれば忘れ去られて後には何も残らないはず、そんなネガティブな意味を込めているのだと思います。

だから「アイドルを消費する」なんて言いかたは、自分自身の行動を卑しめるだけじゃなくて、当のアイドルとそれを支えている全ての人たちを卑しめてしまう。

 

もちろん私は自分が好きなアイドル、BiSHもBiSも恵比寿マスカッツもおやすみホログムもヤなことそっとミュートも・・、彼女たちが成長してその魅力が広く知れ渡って大活躍する世の中というのは、今よりもっと素敵な世の中だと思うし、それが実現することを願っています。

だから「消費する」なんて言葉を使う気持ちは分かりません。

 

価値観は人それぞれだから、活躍を苦々しく思う人もいるでしょう。
敵対する人たちが卑しめようとして「消費しているだけ」なんて言う。

そういう醜い牽制はずっと繰り返されていることだし、しかたないとは思いますけど。

自分たちが大切にしたい世界は、ちゃんと守らないとですよね!!
 

心に夢 抱きながら ずっとずっと 進んでもいいよと
裸足で勇気 見せつけたなら 何をすべきか 誰のため 


たがため

 

 

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