野生のイノシシを、畑を荒らすかどうかで、
このイノシシは悪いイノシシで、こっちは善いイノシシ、と分けるとしたら、
それって自分たち人間の都合で勝手に分けてるんだなって分かります。
イノシシの道理じゃ関係ないわけで。
じゃあ、人間を悪い人と善い人と分けるのも同じように
「自分たち」の都合で勝手に分けているだけなんじゃないの?
そう考えて見ました。
悪人っていうのは、自分の都合、自分たちの都合だけを押し付ける人とか、
ルールを守らない人ってことになると思うんです。
一方で自分たちの都合だけで無くて「みんな」のためを想って
尽力する人は善人ということになると思います。
ところで、ルールと言うのもどっかで
「みんな」の範囲を区切って決めたものなのでしょう。
考慮する「みんな」の範囲がどれだけ広いかによって
独善的かどうかみたいなレベルは変わってくるのでしょうけど、
どんなにその範囲を広げたとしても、
せいぜい「今、地球上に生きている人間」ってあたりまでなんだと思うんです。
もしもその範囲を、人間以外の動物にまで広げてしまったり、
一万年後の人間(?)というか知的生命体(?)とかまで
広げてしまったりすれば、
とたんに善人とか悪人とかって何だか分からなくなってしまう気がします。
そうした話は脇に置いておいて、さしあたり日々の生活って、
自分にとって自分たちにとって都合が良いか悪いか、
それだけを考えてコミュニケーションするだけでも、事足りているんですよね。
それだけ今の日本は治安が良くて、
ルールが守られているってことなのかもしれませんけど。
ところで、いっそ世の中は、都合・不都合の理屈だけで回ってるって考えることも
できるとは思うんです。
みんなの都合でルールを決めたはずなのに、
ルールを守らない人は周りの人にとって不都合だから、
刑務所に入れて隔離しときましょう、みたいな。。
「この人、ダーティープレイが目に余るから、レッドカード退場!」って感じ。