このブログでは、なんども「消費」と言う言葉への違和感について書いてきました。
ところで、なんで昔の人たちは、「消費者」という言葉を侮蔑的と感じなかったのだろう?・・・セルフブランディングネイティブという言葉を聞いて、腑に落ちたところがあります。
https://note.mu/sakuraihayate/n/n514d8dd40419
私たちはお金を使うことが自分のブランディングになることを、当たり前の感覚として持っています。お金を支払って物を使ったり体験したりすることは、自分の今の欲求を満足させるだけの意味ではなくて、世の中に価値を発信して同士と繋がっていくこと、未来の自分を形作っていくこと。ブランディングがうまく行って影響力が大きくなるほどに、未来は豊かになることを知っています。インフルエンサーと認められて、企業から仕事のオファーがくる可能性もある。つまりお金を使うことには未来への投資の意味合いがいつも意識されています。
たとえば、「どうせ私みたいなブスがこの服を着こなそうとしたって、服のイメージを下げてしまうだけだから」という自虐の意味で、「どうせ消費するだけだけど」=「どうせ自己満足に過ぎないけど」と言うのは分かる。だけど、なんで私が服を着ることが消費に過ぎないのかどうかを、誰かに決め付けられなければいけないのだ?価値を生み出せるのは可愛いくておしゃれな子だけ?
・・そもそも、なんでそんな侮蔑的な言葉が一般化しているのだろう??
「投資需要」と「消費需要」という区別がありますけど、私の需要が未来への投資に繋がるものなのか繋がらないものなのか、それを見ず知らずの誰かに決め付けられたくはありません。
区別せずに、「需要する」でよくない?「需要者」でよくない?
逆に考えると、昔の人たちがこんなふうに思わなかったのは、セルフブランディングという意識が無かったってことなのでしょうね。