最近つくづく思います・・
世の中の常識って結局、「酸っぱいブドウの論理」だらけなのかなって。
人は自分が手に入れることができない現実を正当化しようとする。
本当はブドウが欲しいのだけど手に入らなくて、
もう、誰もが諦めるしかない状況ならば・・
「だいたいブドウを欲しがるなんて恥ずかしい欲望だよね。」
「そうそう。あんな酸っぱいものを食べるのは卑しい者だけ。」
現実を受け入れるために、みんなで都合のいい理屈を作りあげますって話。
要は、負け惜しみですね。
実際、ネットの声を見ていると、どこも似たようなものですよね。
自分が諦めて切り捨てたものの価値を懸命に貶めあって、
それに執着している人を見下すことに躍起・・。
たいていは特定の集団内での話しだから、
外野からツッコミも入るわけだけど。
大多数の人が諦めるような状況になれば、それが社会全体の声になって、
もう負け惜しみだとは誰も言わなくなるのでしょう。
みんながハッピーなんだから、空気読んで黙っとけってなるよ。きっと。
そうやって欲を抑えこむことが美徳になって行くんだろうなーって、
ありありと想像できちゃいますよね!
ところで、文明は進歩するから、昔なら諦めるしかなかったような欲求が、
だんだんと満足できるようになってきます。
そして若い世代は実際に、手に入るようになったブドウを手に入れようとし出す。
だけど年長世代にすればそれは、自分の中の美徳に反するわけだから、
人心の荒廃と映ってしまうわけですよね。
自分の子がブドウを食べたりすれば親は、
「ブドウを食べるような卑しい人間に、お前を育てた覚えは無い!!」
とか怒り出すわけです。
マジか!?