今は時代の転換期なので、価値観の大きな変化が起きているとよく言われますよね。
価値観が変化するってことはつまり、「望ましいもの、尊いもの、誇らしいもの」かつてはそう信じられてきたものの価値が揺らいできて、「忌まわしいもの、卑しいもの、恥ずべきもの」かつてはそう思われてきたものに価値が見出されるようになること。
上昇志向の強い年長者って、だいたい価値観の変化に硬直的です。それは「特別な価値ある人間」であろうとしてきて、過去に犠牲を払って手に入れた「特別な価値」が失われて行くことへの抵抗なんだと思います。
逆に初めから「平凡な人間」でしかない人たち、例えば私の周りにいる底辺企業の人たちにしてみれば、価値観が変わってもそんなに失うものは無い。だから変わったなりに受け入れて、上手に楽しく生きていこうと思うのでしょう。
ちょっと昔の本を読んでいると、今となっては全然ピンとこなくて、時代を感じさせる主張によく出会います。こんな時代もあったんだなーと。そしてそういう著者って今もあいかわらず、そのうち時代遅れになりそうなことを言っていたりする。
変化を前にして立ち止まり嘆いている人たちには、揺らぐプライドを立て直すための言葉が必要。大きなニーズがあります。だから言論人の一つの役割として、やがては時代遅れになると思っていても、目の前のニーズに誠実に応えて、よしよししてあげることって大切なことなんでしょう。
価値観の変化が激しい時代ほど、世を嘆き昔の精神性を称える言葉が充満するのだろうけれど、それで世の中が過去へと逆戻りするってわけでもないんでしょうね。