社会的成功を追い求めていたのが男性だけで、
女性はもっぱら幸福を追い求めていた時代が、
かつての日本にはありました。
そこでは女の性は、男の愛を獲得するための手段で、
幸福を手にいれるための手段だったのでしょう。
女性も社会的成功を追い求める今の時代は、
女の性を、幸福を手に入れるための手段、と捉える女性もいれば、
社会的成功を手に入れるための手段、と捉える女性もいます。
どちらでも無く、ただ純粋に快楽だけを求める女性もいれば、
まるで無いものとして無視してしまう女性もいる。
なかには、子供を作るためだけのものと捉える人もいるのでしょう。
昔の多くの女性は、教えに従って規格化された生き方を選んでいた。
けれど、愚かな教えに従う愚か者ばかりだったとは、とても思えないし、
愚かな教えを自分の娘に言い聞かせる、
愚かな親ばかりだったとも、とても思えません。
「教えに従って規格化された生き方を選ぶのがいちばん賢いこと」
そう思わせるような社会環境が、そこにはあったからだと思います。
逆に昔からの教えも、社会環境が変わって合理性を失えば、
自然と説得力を失い、支配力を失って行くものなのでしょう。
昔の多くの女性は規格化されたライフスタイルを選び、
今の女性は一人ひとりが自分らしいライフスタイルを選ぼうとしますが、
今も昔も、そして女性も男性も、
賢く生きようとしているのは同じだと思うんですよね。