特権によらずに魅力あるポジションを手に入れるためには、競争に勝って選ばれる必要がある。その選ぶ基準を決めるのは、選ばれる側ではなくて、選ぶ側・・・
大抵の人は受け入れている競争原理を、受け入れられない人たちのエネルギーって、どこへ向かっていくのでしょうね。
新入社員であれ役員であれ、会社に選ばれるということは、
その会社に利益貢献できるかどうか、メリットを提供できるかどうか・・
その会社にとっての都合で選ばれています。
魅力的で高倍率な指導的ポジションを手に入れようとするのであれば、
当然、ライバルよりもさらに好都合な人間にならなければいけない。
もしも選考する側が、会社にとって不都合な人を故意に選んだりすれば、
私情を挟んだ背任行為でしょう。
会社で出世を目指して努力している人に向かって、
「会社にとって都合のよい社畜になろうとしているだけ」と揶揄したところで、
「別にあなたにまで強制しているわけではないし、イヤならそういう生き方をしなければいい」という話にしかならならないでしょう。
会社にとって都合のいい人間になるのがそもそも嫌ならば、
特定の会社と契約を結ぶのでは無い、フリーランスなどの生き方の選択肢もあるわけです。
プロ彼女を紹介する記事が女性誌に掲載されたところ、
ネット上ではなんだか袋叩き状態だったそうです。
「こんな女は男にとって都合のいい女になろうとしているだけだ」とか。
女性向けファッション誌ViViの提唱する「プロ彼女」が単なる「都合のいい女」でしかないと大炎上
そもそも男に選ばれるということは、相手にメリットを提供できるかどうか・・
その男にとっての都合で選ばれるわけで。
魅力的で高倍率の男のパートナーというポジションを手に入れようとするのであれば、当然、ライバルよりもさらに好都合な女にならなければいけない。
レベルの高い男の理想が「昭和の善き貞淑な妻」といった女性像だとすれば、
そのニーズにベストマッチした人が選ばれるでしょう。
選ぶ基準を決めるのは、選ばれる側ではなくて、選ぶ側・・・
選ばれない人が、その基準は時代遅れだと騒いだところで、
選ばれた人からは負け惜しみにしか聞こえません。
そういう女性像が、別に強制されているわけでも無いし、
自分に合ったニーズを持った男を捜すか、
いっそ、特定の男をパートナーとはしない生き方を選んでもいいわけです。
目指すポジションには費やすコストに勝る価値がある、
そう信じて競争を勝ち抜こうと努力している人に向かって、
価値観の異なる人が外野から否定しようと躍起になる。
努力している人、頑張っている人を揶揄する女を、選ぶ男がいるとすれば、
それはどんな男か・・だいたい想像がつきそうなものですけどね。
ネットの世界ってどうしたって、競争には参加せずに人の足を引っ張ろうとする人の声に満ちたものになるんでしょうけれど、そのエネルギーってどこへ向かっていくのでしょうね?