昭和の人たちは、みんなが欲しがるもの、価値あるものを手に入れることに、
興味があったのだと思います。
大切だと言われているものを手に入れることで、
自分は価値ある存在なんだとアピールしようとしていました。
でも昭和の終わりにはもう、誰もが欲しがるものなんて無くなっていたんですね。
糸井重里さんは1988年の広告コピーでそれを
と表現しました。
そして、誰もが欲しがるものなんて何も無い平成の世の中では、
自分が大切だと思うことを表現してシェアして、
同じ価値観の人同士で繋がることに、みんなの興味が移りました。
そして「努力」の意味も変わったと思います。
昭和的努力は「大切だと言われているものを手に入れるための努力」でしたが
平成的努力は「自分の中に大切だと思えるものを持ち続けるための努力」です。
昭和的努力が嫌いな人も実は、平成的努力はしっかりやっていたりします。
それを意識しないでやっている人も多いかもしれませんね。
いままではそれを「努力」とは呼ばなかったから。
努力しなくても済む人がいるとすればそれは、
天性の才能に恵まれているということでしょう。
残念ながら私は、そういう才能に恵まれていなくて努力が必要なんだと思います。
昭和的努力は嫌いでも、
平成的努力のために会社にも行きますし、
ニートにはなりきれないんですよね。