未来志向で生きていこう

変化を味方にして楽しく豊かな人生を

これから伸びるのは、経済力以外の評価で客を差別するビジネス

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ざっくりな話しですけれど・・子供時代に貧乏だった人は、大人になってお金の力を欲しがりますが、生まれつきのお金持ちはむしろ、お金の力だけでは手に入らないものを欲しがります。

経済的に大きな成功を収めた人は、最後には、寄付をしたり学校を創設したりして、名誉を求めます。

マズローの欲求階層説が有名ですが、人が欲しがるものって段階を追って変化するものなのでしょう。

 

日本が貧しかった時代は、お金で手に入るものを手に入れられずに、悔しい思いをする幼少期を、多くの人が過しました。

大人になって自分で稼げるようになれば、お金で手に入るものを手に入れることに目が向きます。

ちょうど、技術革新で魅力的な新製品が次々と現れた時代です。

売る方はたくさん作ってたくさん売りたかったし、買う方は仕事を頑張るほどに経済力が上がったから、お金を出してどんどんモノを手に入れた。

世の中が、お金の力を行使する魅力で満ち溢れました。

「金を出す人間が上、金を払ったのだから・・」という意識が当たり前になったのでしょう。

 

豊かな時代が訪れると、お金の力だけでは手に入らないものを、みんな欲しがるようになってきます。

承認欲求とか帰属欲求とかが重要になってきて、「モノよりつながり」と言われる時代になりました。

ですがお店のお客に対する意識は今も変わらず、「お金を払っていただくのだから・・。お金さえ払っていただければ・・」といったスタンスばかり。変な話です。

経済力以外の評価をちゃんとして差別すれば、もっと多様な人の承認欲求や帰属欲求を満たせるのに。


老舗料亭みたいなところは別にして、歴史の無い店が客を選別して差別するような商売をすれば、批判する人たちも、きっと大勢でてくると思います。

でも、気に入らない人は客にならなければいいってだけ。

間違って店に来ないように予め公言しておけば、問題ないはずです。

 

私たちって、世の中が豊かになったのにもかかわらず、貧しかった時代の常識を無駄に引きずっているのでしょうね。

 

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承認欲求を満たす方法はいろいろあっていい

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 「人から評価されたい、認められたい」、便利になった世の中で、相変わらず多くの人が不全感を抱いているのはなぜ?
・・考えてみると、人々の思い込みのせいもあるのでしょう。

「評価されるのはお金を受け取る側」とか、「承認欲求は、お金を使って満たすものでは無い」という思い込み。本当は、お金の流れに縛られる必要はないのに。
 

金銭授受を伴う関係を、私たちは謎の常識で縛りつけています。

「お金を出す客が立場が上で、客は店を好きに評価するけど、その逆は無い」とか、「客は店を自由に選べるけれど、その逆は許されない」とか、「店は料金を明示して、どの客にも同じにしないといけない」とか・・、なんか、そういうのってアホくさくないですか?

たとえば、自分の承認欲求を満たすために赤字の商売をしたっていいわけで。

「人に認められて喜ばれた。よかった。赤字だけど」で、いい。
お金が入ってくるルートは別に無いと、ですが。

 

あるいは、客の承認欲求を満たすために、客を評価する商売があっていい。

客のことを気に入ったら特別割引、評価が上がるほどVIP待遇に。逆に気に入らなければ出入り拒否。お客はお店に気に入ってもらおうと自己研鑽する。
・・そんな商売があっても、いい。

 

医療とか公共インフラとか、生きる上で欠かせないものは、公平なルールで配分されることが重要なのでしょうけれど。

 

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専業主婦とリスクと社会的価値

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「今の時代、女性も自分で稼ぎ続けなければリスクが大きい」そう語る人は多いですけれど、リスクを避けることばかり気にする保守的な意見って、いまいち人の心を動かさないですよね。リスクがあっても自分の信じる道を突き進む、そんな生き方がカッコいいし、みんな憧れます。

 

「お金を稼ぐ」ということに囚われて、自由な生き方を見失っているような、古臭い考え方には魅力がありません。価値共創の時代、個人の時代、稼ぐことだけが社会的価値で無いってことはみんな知っています。

経済的な縛りがなくなる「専業主婦」というポジションを手に入れた後に、世の中に影響を与えていくい方法はいくらでもある。魅力的な新しい生き方を切り開いている人はたくさんいる。そしてこれからのデジタル社会は、ますますそんな可能性が広がるのだと思います。

いずれにせよ、リスクを避けようと組織の一員として働き続けるのか、本当に送りたい人生のために未来の可能性を広げようと考えるのか、それって一人ひとりが選び取ることですよね。

 

考えてみれば、妻の稼ぎに頼っている芸術家や作家の男性というのは昔からいるし、「たとえお金にならなくても価値ある活動はある」そうした思いが夫婦の絆を支えているのでしょう。

男女平等の時代、妻が価値ある活動を行うために夫が経済的に支えるというパートナーシップの形、もっと増えてもいいですよね!!

 

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【世界最適地最適活動】効率化とカエル跳び

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情報技術の進歩によって、暗黙知とか以心伝心のような話も無くなって、デジタル化された情報が世界中どこでも共有できるようになってきました。

そしてグローバル企業が目指すのは、世界最適地最適活動。つまりは未来を見通した上で地球上の最適地でいち早くプラットフォームを構築して、先行者利益を確保してグローバル競争を制すること。
 

シェアリングエコノミーとか、モビリティサービスみたいな流れでは、「イノベーションによって市場規模が拡大して企業が成長する」という旧来の構図が全く成り立ちません。

日本のようにモノが売れなくなり市場縮小が見えている分野に優秀な人は集まらないし、投資も進まないし、その上、わざわざ規模を縮小させるイノベーションを進めるのには無理がある。社会をモノで効率化させる技術革新は、新興国のカエル跳びで進むようになっていくと言われていますよね。
 

今までも製造業に携わるエンジニアの多くは、新興国の工場を渡り歩いていたわけですけど、これからは先端市場自体が新しい国に移って行くし、社会を効率化させるモノづくりに携わる人は、一段と世界を股にかけて活躍する生涯になるのでしょうね。

 

ところで・・

一方で先進国に居つづける人の役割って何?と考えてみると、社会が成熟しているからこそ生み出せるものが重要なのでしょう。効率化とは無縁の部分で、その文化特有の何かを生み出すこと。

これまでの社会変化では、大まかに言えば、効率化を推し進める産業化が一方にあって、それを批判する立場として文化人とか芸術家とかがいたと思います。利便性の追求の陰で置き去りにされていくものに目を向けること、それは文化人の役割でした。ですけど、だんだんとそうした境も無くなって、文学や芸術が対象としてきたような割りきれないモヤモヤした世界を充実させていくことが、人々の関心の中心になってきている気がします。

 

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発見と科学文明の歴史

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「発見の歴史」というのは、「科学文明の発展の歴史」として語られていることが分かります。

 

たとえば「コロンブスアメリカ大陸を発見した」と言います。・・とはいえ、元々そこには先住民が住んでいたわけです。ですが大陸はそれまで西洋人にとって、存在しないのと同じことだった。西洋人に知られて初めて、科学文明の発展に寄与する道が開かれたわけです。

つまり当時は、発見の歴史を語るときの主語は「人間」では無くて、「科学文明を発展させる西洋人」だったということになります。

 

たとえば「ジャングルの奥地で医薬利用が期待される新種の植物が発見された」などとと言います。・・たとえ先住民が元からその植物を薬草として利用していたとしても、です。近代人に知られて初めて、科学文明の発展に寄与する道が開かれるわけです。

つまり今の時代、発見の歴史を語るときの主語は「人間」では無くて、「科学文明を発展させる近代人」ということになるのでしょう。

 

ところで、AIが科学文明の発展に様々な形で寄与するようになってきました。AIがディープラーニングで得た知見は人間にとってブラックボックスで、その中身を理解できないとしても、です。

つまりこれからの時代、発見の歴史を語るときの主語は「人間」では無くて、「科学文明を発展させる知能」とかになるのかもしれませんね。

 

なんにせよ私たちは、科学文明に感謝して発見に感謝して、生きて行きたいですよね!

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快と不快と、選択の理由

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人間って、たいていは頭が一つあって手足が二本づつあって・・、外見的にはわりと似通っているけれど、中身って驚くほど違う生き物ですよね。

どう生きるかの理由も、人それぞれに違って当然です。

 

ところで、私が会社に行く大きな理由は、そこが居心地が悪いから。
不快な思いをするから。

家にいれば快適だけれど、ずっといるとだんだん頭を使わなくなるし、そのうちに退屈してしまいます。

逆に会社にる時間は不快なので、「なんでこんな不愉快な思いをしなければいけないの?」「どうしたらこの状況を楽しめる?」と頭を懸命に働かせることになる。

好奇心が刺激されるおかげで、結果的に人生は楽しく豊かなものへと変わって行きます。

 

いろんな不快な時間が、私にとっては意味ある時間。

余談だけれど、「傷ついた」とかいう言い方は、自分の中で止めにしました。単純に「不快な思いをした」でいいや。

 

何に快を感じて何に不快を感じるかの感受性は、人それぞれずいぶんと違うけれど、不快な体験と向き合う理由も、きっと人それぞれにある。

 

ここに踏みとどまり続けるのか、あるいはもっ楽しめる環境へと飛び出すのか、それを選ぶ理由もまた人それぞれで。

大きな選択ほど、その理由を誰かに理解してもらうのは難しいのでしょう。

 

チャッピーはブログを続けることで、人から理解されないことも、共感されないことも、だんだんと快感へと変わってきた気がします。

このまま自分をもっともっと、尖った存在へと変えて行けたらいいな。

 

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冒険者は開発の新境地を目指す

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 思いのままにできる喜びを知っている私たちは、

思いのままにできることを広げようとします。

でもひとたび思いのままにできるようになると今度は、

思いのままになってしまうことに退屈してしまうので、

つぎつぎと開発の新境地を目指すようになるのでしょう。

しまいに地球上には飽き足らず、宇宙開発を目指す冒険者もいますよね。

 

もうひとつ、退屈しないための全く違うアプローチがあることに気づきました。

それは、思いのままにされる喜びを開発すること。

あーなるほど!

両方を目指す冒険者がいてもおかしくないのですね。