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「好循環を生み出していく」ポジティブな意識でお金を使いたい

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しつこく「消費」と言う言葉への恨みを書き連ねます(笑

「先生へのお祝いに3万円を費やしました」と言われれば、
「ほんとうは避けたかった支出なんだな」と受け取るでしょう。

「楽しい時間を過しました」とは言わずにあえて、
「楽しい時間を費やしました」と言われたら・・ヘンですけど、
「楽しいだけの時間を無駄に費やしてしまった」
という皮肉なのかな?と受け取るでしょう。
 

つまり「費やす」という言葉を使うと、
「できるだけ抑えたい、できれば避けたい」
そういうネガティブな意味がそこにこめられてくる。

対義語を調べても・・
蓄える(ポジティブ)の対義語が、費やす(ネガティブ)で、
出し惜しむ(ネガティブ)の対義語が、はずむ(ポジティブ)
 

ですので「消費」と言う言葉も、費やすという文字が入っている時点で
できれば減らしたい、避けたいというネガティブな意味が込められています。
 

きっと、費やされているものだけに注目したから、
お金を使う行動を「消費行動」なんて呼ぶことになったのでしょう。

ですけど、
「お金を使うこと=何かを費やして消すこと」
なんてネガティブな意識は止めにして、
「お金を使うこと=何らかの好循環を生み出すこと」
とポジティブな意識を持ちたいですよね!

 

 

 

【美しい循環】僕らは数えないし、無くすこともない

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大地の恵みを活かすために綿花は育てられて、

その恵みを活かすために綿花は美しい綿糸へと紡がれて、

その恵みを活かすために綿糸は美しい衣へと織られて、

その恵みを活かすために衣は美しい人の身に纏われて、

そうしてみんなが眼福にあずかり得た力を活かすために、

また綿花が育てられ綿糸へと紡がれて・・・
 

世の中には、こんな麗しい循環ってありますよね!

 

人は自然の恵み、大地からの授かりものを活かして豊かさを分かち合う。

その魅力を一層引き立てるのに相応しい人がそれぞれ関わりながら
次の人へと受け渡していって、未来へと富をつないでいく。

 

私たちは、数えられるものや費やされていくものに目を奪われやすくて、
数えられないけれど受け継がれていくものには目を向けにくいのでしょう。

世界の見方は人それぞれ違うけれど・・

せめて自分の周りには、自分が心地よくなれる世界を作りあげていきたいな!

 


ありあまる富 /椎名林檎(Cover)

「感謝の気持ちがあれば・・」消費と言う言葉への違和感

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「この子が成長したのも、たくさん消費してきたお米のおかげです。」

「この子が成長したのも、たくさん消化してきたお米のおかげです。」

「この子が成長したのも、たくさん食べてきたお米のおかげです。」

こうやって並べると、一番目の表現って違和感があります。

感謝の気持ちを表す時に「消費」って言葉はふさわしくありません。

感謝の気持ちがあれば、単に費やされるものなんて一つも無いはずなのに、
あえて費やされるって字を使うわけですから。

この言葉は、モノや関係を通して育まれるものから目を背けさせてしまう。

 

チャッピーは「消費」という言葉が嫌いなので、特別な意味があるとき以外は
使わないようにしたいな、と思っています。

あと、人が書いた文章に出てくる「消費」は、他の言葉と置き換えてみる。
たいていは置き換えられる。

でも、「生産者」に対しては「消費者」とか、呼び方が決まっているから
しかたなく使うのですけど・・

 

 

 

「コンテンツ消費」という言葉にこめられる悪意

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「高校生活の3年間で私は100冊近いノートを消費した」
こう言ってもまだ違和感はありませんけど、
「高校生活の3年間で私は100冊近い教科書を消費した」
こう言ったら、完全に違和感があります。

ノートは物質的に費やされるものだれど、教科書の内容(コンテンツ)というのは費やされるものでは無くて、むしろ学習者に吸収されて役立つものだから。

それをあえて「教科書を消費した」なんて言えば、まるで「内容はすっかり忘れて無駄になった」みたいに聞こえます。

そして実際のところ、教科書には消費税はかからないみたいだし、消費されるものとは区別されています。

 

ところで、どんな漫画家もミュージシャンも小説家も・・
それまで読んだり鑑賞してきた過去の多くの作品から学んだことを消化して、自分の作品につなげているのでしょう。

それをたとえば、プロの漫画家が賞の授与式で、「尊敬する先輩たちのたくさんの作品を『消費』してきたおかげです」なんて言ったら、すごく変です。

こういうときに「消費」という言葉はぜったい使われません。

 

だからもしも友達が私の過去を、「高校生活3年間でたくさんの漫画を消費してきた」と言ったら・・
それはつまり、「漫画の内容はあなたにとって役立たないし、そこから学んだことを元に何か価値あるものが生み出されることも無い」そう決めつけられているわけで・・
とっても虚しくなります。

 

もともと費やされて消えるわけではないコンテンツを、「消費する」なんて言う時って、対象や相手を卑しめる悪意が含まれている。

こんな虚しい表現をするのは、止めにしたいですよね!

世の中をより良い場所に変えて行くことは消費行動なの?

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アイドルファン自らが、「私たちはアイドルを消費している」なんて言うのをときどき目にすることがありますけれど、とっても切ない気持ちになります。

 

クラシック演奏家のファンは、「私たちは演奏家を消費している」なんてわざわざ言わないと思う。

それは、その演奏家の活動を支えて成長を見守り、その魅力が広く認められていくことが、世の中がより良い場所になっていくことだと思っているからでしょう。

 

逆に「消費している」なんて言い方をする時って、応援したところで、ひと時の気晴らしにしかならなくて、やがて飽きられれば忘れ去られて後には何も残らないはず、そんなネガティブな意味を込めているのだと思います。

だから「アイドルを消費する」なんて言いかたは、自分自身の行動を卑しめるだけじゃなくて、当のアイドルとそれを支えている全ての人たちを卑しめてしまう。

 

もちろん私は自分が好きなアイドル、BiSHもBiSも恵比寿マスカッツもおやすみホログムもヤなことそっとミュートも・・、彼女たちが成長してその魅力が広く知れ渡って大活躍する世の中というのは、今よりもっと素敵な世の中だと思うし、それが実現することを願っています。

だから「消費する」なんて言葉を使う気持ちは分かりません。

 

価値観は人それぞれだから、活躍を苦々しく思う人もいるでしょう。
敵対する人たちが卑しめようとして「消費しているだけ」なんて言う。

そういう醜い牽制はずっと繰り返されていることだし、しかたないとは思いますけど。

自分たちが大切にしたい世界は、ちゃんと守らないとですよね!!
 

心に夢 抱きながら ずっとずっと 進んでもいいよと
裸足で勇気 見せつけたなら 何をすべきか 誰のため 


たがため

 

 

chachappy.hatenablog.com

 

私に都合のいい人生を作る

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人生を「ああ、退屈」って思わないように生きていたくて、そのために仕事は必須だと思っている。

夢中で仕事を片づけているうちに、今日や今週や今月や今年が「あっという間に終わってた!」ってなるようにしたいから、夢中になれる仕事じゃなきゃ困る。

下田美咲著「私に都合のいい人生を作る」より 


ほとんどの人が、まずはお金のために働くのだろうけど、お金だけのために働いている人というのも、ほとんどいないと思います。

たいていは仕事を通じていろんな欲求を満たしている。
承認欲求とか成長欲求とか創作欲求とか探索欲求とか・・

お金は充分あるけど暇を持て余すから働くって人も、世の中にはいる。

 

そして今の日本では「お金のため」って優先度は下がってきて、会社で出世して収入を増やしたいからハードワークするって人は、少なくなってきていると言われています。

お金にガツガツしなくなったってことは、それだけ日本が豊かになったってことですよね。

 

一方で、小劇場演劇とか自主制作映画とかマイナーなバンドとか、そういう活動の労働生産性をあえて数値化したとしたら、きっとすごく低い。

だからといって、そういう活動に熱中している人たちに向かって「もっと生産性の高い仕事をしなさい」って話し??

「好きなことを追求して誰かに必要とされて、ほどほどに食べて行ければ幸せ」そんな人が増えれば増えるほど、結果として日本人の労働生産性は下がるのだろうけれど、だからといって日本が貧しくなるって話とは違うと思います。

 

そもそも、お金が入ってくるのるか出ていくのかって違いだけで、人々の行動を生産行動と消費行動とに二分する考え方って、とっても横暴ですよね。

生存が維持できるくらいに物質的に充足されれば、あとはみんなさらなる精神的な充足を求めるものだろうし、それって、人と人との関わり合いの中でもたらされるものでしょう。

だったら大切なのは、さまざまな活動を通して、精神的充足をたくさんもたらしてくれる関係や環境を整備し続けること。

お金はそのための便利なツールでしかない!

お役所にとっては、生産か消費かって分類が大事なんでしょうけど。

 

 

 

労働生産性とか関係ない未来へ!

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日本が豊かになるためには、
「日本人の労働生産性」を向上させることが大事って偉い人たちはよく言います。

 

ですけど大きな目で見れば、社会が豊かになるってことは、
労働生産性が向上するってよりも、むしろ
「生産性とか気にしない」って人が増えていくことじゃないの?とも思うんです。

人々の日々の生活を生産活動と消費活動とに分けて、
生産の部分の効率を上げることが生活が豊かになるってこと??

 

例えば、サロネーゼの開くお料理サロンとか、
「その活動は労働生産性が低い」なんて部外者が口出ししても、
「余計なお世話」って感じですよね。きっと。

国が豊かになるって事は、国民の生活全部が
こういう世界にどんどん近づいていくことじゃないかなって思います。

 

別の例を挙げると・・古代ローマ市民の生活とか。

彼らの頭の中に「市民の労働生産性」って考えはあっただろうか?

もちろんその豊かさは奴隷労働に支えられていたわけだから、
「奴隷の労働生産性」を向上させることは大事だったろうけど。

私たちが目指す未来は、奴隷労働を代わりにぜんぶ機械がやってくれる世の中。

そうだとすれば、やがて国民全員がローマ市民みたいになるわけですよね!